大和魂について(序)

 憲法を改正する、しないの、特に第9条のありようをめぐって、賛成反対それぞれの立場からの議論が盛んである。そのこと自体は決して悪いことではないと思う。
 今、日本と諸外国との関係、特にアジアと近隣諸国、なかでも小泉氏が首相に就任し、靖国神社への参拝を繰り返すことによって、こじれにこじれてしまった日韓、日中の間の関係を、どう修復し再構築するのか。今後の日本という国のありようを考えるうえで避けて通ることのできない最も重要な課題である。
 ところで、最近の中国、特に沿海部の経済発展はめざましいものがあり、近年中にドイツ・日本を追い越して、GDPにおいて世界第二位に躍進し、第一位のアメリカと覇権を競う国に成長する。 この経済成長に裏打ちされた旺盛な活力は軍事力の増強の面でもはっきりあらわれている。中国予算に占める軍事費は毎年二ケタの伸びを示し、海軍力においては、航空母艦の購入に至っている。空母を保有するということは、純然たる国土防衛の枠を超えて、有事の際には海外に向けて軍を派遣するという明確な意思表明であり、それだけの実力を持ったものだとの力の誇示でもある。最近では、中国がらみのスクランブル、自衛隊機による緊急発進の回数がとみに増大しているという。先般も、中国潜水艦が潜航したまま日本領海・沖縄海域を航行し、明らかな領海侵犯行為をしている。
 素人考えからすれば、その目的は日本自衛隊および米軍なぞ何するものぞとの覇気のあらわれであり、かつまた、日米の潜水艦探知能力および有事即応体制・その実力やいかにという、挑発的威力偵察行動ではなかったかと考えたくもなる。下衆のかんぐりであろうか。
 麻生外相と野党第一党党首の前原氏が中国脅威論を公の場で発言している。一国の政治の中枢を担う立場にある政治家の発言としてあまりにも不用意であり、稚拙であり、軽薄である。中国の台頭ぶりをひしひしと感じており、それにどう対処したものかとの思いが、ポロッと口をついて出てしまったものであろうが、それにしても、次の首相を担おうと、将来は自民党に変わって政権を担おうと意気込んでいる野党第一党の党首の発言としては、彼らの見識がいかほどのものかを白日のもとにさらけ出してしまった。
 二人の政治家のことをとやかく言うことが、目的ではないのでこれまでとする。

 世界地図を広げて太平洋を見る。伊豆小笠原諸島に続くマリアナ諸島の中ごろにグアム島がある。この島を扇の要として、韓国があり日本本土、沖縄を含む南西諸島、台湾、フィリピン諸島群そしてマレーシアへと多くの島々が長大な列をなして連なっている。アメリカから見ればこの長大な島々の連なりは、中国の太平洋への進出を抑えるうえでは誠に好都合な防衛ラインであり、中国にしてみれば発展を阻害する厄介な邪魔者であろう。とはいえ、米中双方、この地域でむき出しの力と力がぶつかり合うことを望んでいないであろう。核兵器保有する二つの超大国が仮に戦端を開くようなことになれば、地域紛争では収まりようがなく、行き着くところ世界終末戦争へと発展しかねない。
 覇権を競いあう二つの超大国とその間に挟まれた緩衝地帯としての日本を含むこれらの島々。この現に立脚したうえで、日本という国をどう守っていくか、そのためには憲法9条はどうあるべきか、こういった問題を含めて日本という国のこれからの在り方が論議されなければならないと、私は考えます。
 現状では勢力均衡というか、この力のバランスを崩さないように行動することが、日本を含む極東地域の平和と安定を維持する最良の方法でありましょう。
 中国にとっては、日本という国がアメリカ一般等で、アメリカの顔色ばかりをうかがい、アメリカがくしゃみをすれば風邪を引くような軟弱な国家であっては困るであろう。日本が極東ではたすべき役割りをキチンとはたせ。そう願っているはずである。中国が靖国問題でここまで依怙地に撤するのは、小泉ではもうどうしようもない。次の政権では中国韓国を含みアジア諸国にも配慮でき、アメリカにも諸外国にもしっかりした定見を持って行動できる男が日本のリーダーとして登場してくることを願って、執拗に揺さぶりをかけているのではなかろうか。又、ブッシュという男がどう考えているかは別として、良識あるアメリカ人にとっても、日本がアメリカだけでなく、中国や韓国とも良好な関係を築いて、極東において平和と安定のための重鎮として行動する国家になることを希望しているものと思う。

 私の立場はこうである。
 アメリカか押し付けられた憲法だから改正する、9条がなくなれば戦争国家に逆戻りするから改憲反対などという皮相な論議に終始し、最終的には数の論理でこの問題をかたづけるようなことがあってはならない。一人でも多くの人が、この問題を自分と将来の日本人の運命を決めるものとして、大いに議論を深めることが、この際もっとも大切なことだと私は考えます。
 敗戦このかた日本人は、敗戦の痛手から立ち直るのに汲々とし、経済的な繁栄には成功した。しかし、独立不羈の精神を失い、日本人と日本という国は、他の国々の人から尊敬される品性というものを失ってしまったかのように思う。かつて日本に存在し、今では失われて久しい日本人らしい日本人とそれに支えられた大和魂というものを考えることによって、新しいリーダー像を模索してみたいと思う。