「すべてのあかちゃんに安らぎを」

このところまわりでオメデタがつづいている。
あかちゃんというのは本当に不思議だ。まわり中をやさしくて幸せな気持ちにしてくれる。あたらしい命の誕生を、悲しくおもう人はきっといないだろう。
おもいだしてほしい。想像してみてほしい。
あなたが、パートナーが、あなたの子や孫、姪、いとこ、そしてあなたの母が命を授かったときの気持ちを。 日ごとに膨らむおなかに感じた、新鮮さと興奮と不安を。待ちにまった対面のときを。はじめてきく産声を。小さくても、乳をもとめ、泣いて意思をつたえ、生きようとする本能を見いだしたときの驚きと感動を。
生まれでた命にたいして、将来だれかの命を奪うようのぞんで祝福した人がいただろうか。いま、目の前にあるちいさな命が誰かの手で消し去られることを願っただろうか。
私たちには心がある。身内でなくても、通学路で奪われた命や、外国に拉致された青春に、やりきれない痛みを感じることができる。暴力や辱めに憤る心がある。
 
いま、イラクで「わたしたちの仲間の米英軍」のしていること。妊婦の上にも、新生児の上にも、通学路にも無差別に爆弾が降り注ぐ。歩いていただけで何十日も拘留され、辱めを受ける。
彼らは戦闘員ではない。私たちとおなじ痛みを感じる、心をもった人間なのだ。
「わたしたちのJapanese Army(自衛隊)」は、その行動を支えている。『平和憲法』があってさえ、このくらいの「共犯」は出来てしまう。
 「国際協調のため海外で武器を使える自衛軍をもつ」新9条案。3年前、イラク開戦時にこの条文があったら、自衛隊員もその手でイラクの市民の肉体を、人生を、生活を、信頼をこなごなにしていたかもしれない。
占領される側の気持ちになってみてほしい。
 「9条」を変えることで、そんな「加害者」になる確率がうんと高くなるとしたら?この国を守るだけなら、いまの自衛隊で事足りるのに。それをなくせ、とはいわない。むしろ、「世界トップレベルの災害派遣部隊になって、武力以外の国際貢献に従事する」なんて改憲案なら個人的には大賛成だ・・・そうなれば日本の‘平和主義‘も世界から信頼されると思うけどなあ。
  
オリンピックだって、甲子園だって、現実はどうあれ、「宣誓」する。それは、「そうありたい」と選手も、観客も願うからだ。
憲法は「決まりごと(法律)とは違う。「こんな国にしよう」という「理念」だ。会社や学校の理念と同じだ。結婚式の宣誓とおなじだ。「9条」には、国防のために戦うこともしない。とは書いていない。「この国を守ることはしても、他国を攻めることはしない」という「宣誓」を撤回するのは、努力をしない、と宣言するのと同じではないか。 
 
すべての赤ちゃんに安らぎをもたらすため全力を尽くすことを国家の名誉にかけて改めて誓うのか、それとも、どこかの赤ちゃんの上に爆弾を落とすこともいとわない、と宣言するのか、いま、わたしたちは試されているのだとおもう。